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家族が増えました【長女の出産レポート】

約1ヶ月ぶりの更新となります。お久しぶりです。

妊娠したと言う記事から放置していましたが、先月長女を無事出産しました!1ヶ月里帰りをしていて、昨日夫がいる東京の自宅に戻ったところです。久しぶりのパソコン&記事更新!嬉しい・・・!

出産から産後の1ヶ月の間の出来事は全てが初めてのことだらけで、衝撃と戸惑いの連続で、いろんな意味で一生忘れられない経験となりました。

このブログは日本語教育についての記事を読みにきてくださる方がほとんどと承知していますが、いつか娘が大きくなったとき読んでもらえたらという気持ちで、出産のレポートを残します。またこれからも育児の記録もしていくつもりです。

日本語教師、ブロガー、そして新米の母として、今後も記事の更新をしていきたいと思います。

いつの間にか年の瀬となってましたね。今年はたくさんの人にサイトへ訪れていただきました。ありがとうございました。

来年もどうぞ、よろしくお願いします。

・・・陣痛がなかなか来なかった!

実母から私も弟も予定日より2週間前に産まれたと聞いていたため、なんとなく自分も早めに出産するのかなあと考えていました。

ですから生産期である37週を超えてからは毎日落ち着きません。デパートやおしゃれレストランに行きたいけど、もし陣痛が来たらと考えると遠くまで行く気になれず、最寄りの駅周辺と家を往復する日々でした。

1週間に一度の検診では、「うーん全然産まれる様子ないね・・」との回答ばかり。最初はのんびり構えていた私も少し不安になってきました。

「先生、陣痛って来たらわかりますか?気づきますか。」なんて(今考えると笑える質問を)したりもしていました。

予定日の40週0日目になっても、産まれる気配はゼロ。友人や家族が「もう産まれた?」と気にかけて連絡してくれているのに、私は不安が増して焦るばかり・・・!

ちなみに予定日を超過することをSNS上では「超過ランドの住人になる」と表現するらしいです(笑)

3人の子を産んだ夫の母が「初産は遅くなることが多いからねえ。」とのんびりしておいてくれたのが救いでした。

そしていよいよ40週も後半になり、あまり遅くなると胎盤の機能が落ちて安全じゃなくなるという理由で、翌週の41週3日目に陣痛促進剤を投与して出産する計画が説明されました。

本や友人の話で陣痛促進剤による出産はめちゃくちゃ痛い&時間がかかったと聞いていたので正直嫌でしたが、安全のためにしょうがない、覚悟を決めよう!と自分を奮い立たせていました。

妊娠41週1日目の朝・・・

先生から陣痛促進剤による出産の説明を受けた翌日の朝でした。(次の日から入院する予定だった)

朝5時に目覚めてお手洗いへ行くと・・・

「・・・!!!」

明らかなおしるしが確認できました。12分から20分間ぐらいのまばらな感覚でにぶい痛みを感じます。ここではまだ普通に動けるレベルの痛みでした。

(・・始まった・・・)

とすぐわかりました。産院へ電話すると、

「10分間隔の痛みになったらもう一度連絡してください。」との返事。

あらかじめまとめておいた入院支度を出してきて、里帰りでしばらく家を開けるので冷蔵庫の中や部屋を整理しながら、痛みの感覚が狭まるのを待ちます。(感覚を測るのには「陣痛きたかも」というスマホアプリを使用しました。)

**

14時近くになると、だんだん10分ぐらいの感覚で痛みを感じるようになりました。

朝より強い痛みを感じます。再度産院へ電話します。

「初産なので、今日産まれない可能性があります。もしかしたら来てもらっても一旦帰宅ということになるかもしれませんが、どうしますか。」

自分で決めろということか。また帰されるのは嫌だけど、夫は夜までいないし、これからさらに痛くなったら動けなくなる可能性もあるし、病院へ向かおうと判断しました。

準備しておいた陣痛タクシーを呼びます。

タクシー会社の人
陣痛ですか。
CHIYO
は、はい!
タクシー会社の人
破水はしていますか。
CHIYO
いいえ!
タクシー会社の人
それでは10分後に登録いただいた住所へ向かいます。
CHIYO
お願いします!

とこんな感じで、優先的に車を回してもらえます。陣痛タクシーには産院の住所も伝えてあったので、落ち着いて病院へ向かうことができました。

今夜は帰りたくないです!

午後3時ごろ、病院へついて専用の機械をつけると6〜7分間隔で陣痛が来ていました。この時の痛みはまだ普通に人と話せるレベルです。

初産の人はここから時間がかかるらしく助産師さんには「リラックスするために一旦帰ってもいいですよ。どうしますか。」と言われます。

が、やはり夫の帰宅は10時近くになる可能性もあり一人でうちにいるのは危険だと判断。

CHIYO
帰りたくないです!入院します!

今考えると、ここで帰宅しなくて大正解でした。

あっという言う間に子宮口4cm

18時前になると、この日の夜勤の助産師Sさんが挨拶に来てくれました。陣痛が強くなってきた気がするので見てもらいました。

助産師Sさん
あれ!もう4cmぐらい開いてますね(驚)!日付が変わる頃に産まれる可能性が高いです!旦那さんに連絡してください。

仕事中の夫に連絡し、夜ご飯を食べたら病院へ向かって欲しいと伝えます。

助産師Sさん
飲み物を持ってきてもらいましょう。お水2本、ポカリを2本ぐらい持ってくるようお願いしてください。

だんだんと痛みが強くなってきました。痛みの波が来る時は顔がぎゅっと歪んで、喋るのが辛くなってきました。

テニスボールでいきみ逃し!からの子宮口全開!

22時ごろ夫が到着しました。必死の私に対して、いつも通りの夫の顔を見たら少し落ち着きました。

陣痛はさらに強くなり間隔は5分ぐらいになっていて、お腹の底から唸るような声が出ます。自分が自分じゃないようになってきました。

助産師Sさん
痛みの波が来たら息を吐いてください。波のピークが過ぎたらその痛みにもうつきわなくていいので力を抜いてください。

頭ではわかっていても、全然体の力が抜けませんでした。

***

(多分)23時過ぎぐらいにお腹の痛みが徐々に下に下がってきて、お腹じゃなくて腰の方がが痛くなってきました。

(・・なんかいきみたい感じ・きた・・)

痛みの波と同時にトイレに行きたいような間隔がきました。内診すると、子宮口は8センチに開いてくれていました。赤ちゃんの頭が安全に通るように10センチ(全開)になるまで産めないのでここから噂の

テニスボールでいきみ逃し

をします。

方法としては痛みが来た時にお尻の穴(尾骨らへん)を押して、いきみたくなるのをひたすら我慢するというもの。ここが超辛い!!夫にテニスボールを当ててもらい、脂汗をかきつつひたすら痛みに耐えること2時間。

(もう無理や!意味わからんぐらい痛いよ!麻酔くれ・・!顔やばいことになってるけど・・・夫引いてるか?はよ終われこの時!)

などと考えていると、ようやく子宮口全開となりました(泣)

破水からの分娩室

AM1時、テニスボールぐりぐりをしていたとき、何か液がもれ出るのを感じました。

CHIYO
・・Sさん、破水しました!
助産師Sさん
内診しますね。よし、全開です。分娩室へ行きましょう。

来た!終わる!陣痛室から分娩室へ歩いて移動します。

いよいよご対面・・・

分娩台へ上がり、痛みの波に合わせていきみます。

助産師Sさん
顔に力を入れないで、お腹に力を入れて!

と言われますが、10ヶ月の妊婦期間で全く腹筋を鍛えていなかったためお腹に力が入りません。痛過ぎて過呼吸になり頭が朦朧としてきました。

助産師Sさん
ちょっとお母さんも赤ちゃんも苦しくなっているので、酸素つけますね。頭、見えてますよ。

Sさんの言葉の意味はわかりますが、ぼーっとしていて感情はありません。どこからか男の先生かやってきて、会陰切開をしました。陣痛が痛過ぎて、何も痛みを感じませんでした。

分娩台の上で叫び声を上げながら、人生で一番の痛みに1時間近く耐えました。長く、長く感じました。

*****

**

朝の2:17分

男の先生が「もう力、入れなくていいですよ。」

と言った瞬間、子どもが誕生しました。

31年前の私を見ているようだった。

産まれた赤ちゃんは・・・大きな産声を・・・上げなかった!

実はお腹の中で羊水を飲んでしまっていたので、呼吸ができない状態になっていたのです。体の色も少し紫がかっていて苦しそう・・・!

急いで先生方が吸引して、処置してくれると徐々に泣き声が聞こえてきました。小さい体から可愛い声で頑張って泣こうとしています。疲れ過ぎてあまり感情がなく、虚ろな瞳で処置してくれる先生を見つめる私(笑)

出生体重は約2300g。最後の検診で予測してもらった時より500gも少なかったです。今の技術を持ってもこんな誤差があるんですね・・・。ほんと出産は人それぞれ過ぎます

産科の先生や助産師Sさんは、

助産師Sさん
ちょっと苦しかったですよね!でも赤ちゃんは大丈夫ですよ!少し痩せ型の赤ちゃんですが、問題ないですよ。結果的には安産です。

と私が心配しないように声をかけてくれます。おそらくやや低体重児であったこと、産声をすぐあげなかったことで私が不安になっていると考えてくれたのだと思います。

でもこの時の私は全然心配してなくて、むしろ落ち着いて状況を見ていました。

と言うのがこの産まれ方、低体重であること、すぐに産声をあげなかったことは、母から聞いた私の産まれた時と同じ状況だったからです。

産まれた時は鶏ガラみたいな赤ちゃんだったのよ。小さくてすごく心配したわ。でもすぐに平均体重を越したの。

と何度も言われていたのです。

きっとこの子もすぐに大きくなって同じ感じで成長するんだろうなあと直感しました。

助産師さんが私の胸を確認すると、少し母乳が出ました。生まれたての赤ちゃんを私の胸に近づけると、口を動かして少し飲んでくれました!

一生懸命飲んで、可愛い!!

とその時やっと感情が戻った私は感動したのでした。

 

 

Chiyo

日本語研究家、ブロガー、母1歳。 関西出身。神奈川育ち。20歳の夏カンボジアで出会った日本語ペラペラの現地ガイドに衝撃を受け日本語教師の道へ。慶應大学卒業後シンガポール3年半→フィリピン半年→共同通信系(アジア経済)記者→日本語別科助教。 2018.9.13 結婚、セブにて挙式 2019.11.21 女の子出産 お仕事の依頼はブログのお問い合わせフォームからお願いします!

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